日本人はなぜ特攻を選んだのか

■特攻とは何だったのか、なぜ日本人は特攻という道を選んだのか。何も知らない中国や韓国の言論人は、「日本の軍国主義に洗脳された」「犬死だった」と蔑んだ論調で特攻を語ることが多い。大中華も小中華も、2000年ものあいだ受け継いできた儒教の影響が大きく、きわめて世俗的で実利的な民族であるため、そう考えるのも無理はない。

■だが、戦後の日本でも、中国や韓国に同調して日本を貶める反日日本人や、戦前の日本をすべて否定する自虐史観が猖獗(しょうけつ)を極めてきた。台湾人の私からすれば、たった一度負けただけで、なぜこれほど変わってしまったのかと残念でならなかった。それでも、終戦直前に散華した勇敢な若者たちを思い出すたび、日本に未来に希望と期待をもったのも事実である。

■私は戦争や特攻をいたずらに賛美したいわけではない。避けられるならば、戦争は避けたほうがいいに決まっている。だが、戦わざるをえない運命、そして負けることがわかっていても、命を賭して立ち向かわなくてはならない状況というのもあるはずだ。

■日本は明治維新後、日清、日露、日米と、自国より大きな国と戦争せざるをえなかった。その事実だけでも、近代の日本がいかに苦難の道を歩まざるをえなかったか、わかるはずだ。

■文芸評論の巨人・小林秀雄は、戦後の1946年に開かれた座談会に出席し、その席上、敗戦と同時に左翼言論人に転向し、盛んに「日本は間違っていた」「日本が悪かった」などと言うようになった知識人に対し、次のように述べた。

■「この大戦争は一部の人達の無知と野心とから起こったか、それさえなければ、起こらなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然というものを、もっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利口な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」(『小林秀雄全集』第8巻)

■負けた途端に手のひらを返し、「日本は反省すべきだ」などと言い出した知識人の小賢しさを痛烈に皮肉ったのである。それは現代の日本人にも当てはまるだろう。東京裁判史観、中国や韓国の侵略史観に染まり、戦後の価値観で戦前の日本をしたり顔で断罪する。そうした小賢しさは見るに耐えない。

(本書「はじめに」より)


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